モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

神のみわざはただしく

f:id:tachibananasu:20220315212347j:plain

葬儀用楽譜ファイル。葬儀に弾かない曲も写ってます。

 10日前葬儀の奏楽をしました。高校生のときから奏楽をしている私は奏楽歴だけは長いのですが、初めて葬儀の奏楽をしたのは今の教会に移ってからです。現在の職場になって、週日に定休日があったり、午前と午後の間に長い昼休みがあったりで、そこにちょうど葬儀が執り行われることが不思議に多く、数えると16人の方の葬儀の奏楽をしていました。ちなみに、私は出身教会→熊本の教会→現在の教会と、ずっとYAMAHA11ストップのリードオルガンでやってきました。ペダル付の曲は弾けません。

 当初、葬儀には主の受難をテーマにした曲を弾けばいいと思い込んでいて、それは間違いではないと思いますが、その後、天に召された方を通して神様の栄光を讃えるものとして曲を選ぶようになりました。と言っても、レパートリーは少ないので、こっちにするかあっちにするか…くらいなのですが(笑)。
 先日の葬儀の後奏には「Was Gott tut, das ist wohlgetan(神のみわざはただしく)」を弾きました。讃美歌にあるコラール曲(54年版80番)です。元々礼拝では弾いていたのですが、葬儀に弾くようになったきっかけはバッハ教会カンタータ12番「泣き、嘆き、憂い、怯え」を知ってからです。バッハはこのコラールをあちこちで使っているそうですが、カンタータ12番の最後に出てくるこのコラールが心に迫ったのです。
 愛唱讃美歌を、後奏か遺体との別れ(飾花)か出棺か…のどこかで可能な限り弾くようにしています。これも当初はしていなかったのを時々し始め、そしてオルガンの先生に勧められてからはできるだけと思うようになりました。私はアドリブでアレンジして弾くなんて全くできないので、葬儀の連絡、愛唱讃美歌の連絡が来てからの準備になります。間に合うのか、みたいな。(別にアレンジして弾かなきゃいけないってものではないです)
 引退教師の先生の葬儀。その先生はご自身が牧会されていた教会で、葬儀の始まる前にいつもモーツァルトの「Ave verum corpus(アヴェ・ヴェルム・コルプス)」を流していると何度か話してくださっていました。改革派教会で弾いていいのかという考えもあるかと思いますが(私は日本キリスト改革派教会員です)、私は遺体とのお別れのときに弾きました。
 教会員の未信者であるお父さん。高齢ではありましたが突然死でした。礼拝に来られることはなく愛唱讃美歌はありません。ただ、教会のシニア会に時々来られていたそうで、そのとき「君は愛されるために生まれた」が好きだと言っていたことがわかりました。改革派教会で弾いていいのか笑、…私は弾きました。
 教会によって、教派によって、主日の公の礼拝における奏楽曲についての見解はいろいろだと思いますが、葬儀は礼拝であると同時に個人的なものという側面も大切なので、神様を讃美するものであるなら私はいいと思っています。
 一昨年、親しくしていた求道者の友達が召されました。その3ヶ月前にお手紙をもらっていたのですが、そこにはバッハコレギウムジャパンコンサートの解説のコピーが同封されていました。その演目曲の1つにカンタータ106がありました。「Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit(神の時こそ、いと良い時)」。私はこの友達の葬儀で、前奏にこの第1曲を弾きました。後で知ったのですが、これは葬儀の時に演奏するための曲だそうです。本当に美しい曲です。オルガン曲ではないのですが、それ以降、何度か葬儀で弾いています。

 天に召された愛する人を丁寧に見送り、葬りたい。拙い、欠け多い者ができることは僅かですが、心をこめて準備できたらいいなぁと思っています。

『神の御業はすばらしい。私はそばにいよう。
私を険しい道と苦難と死、悲惨な目にあわせようとも、神は私を父のように御腕に抱いてくださるだろう。
だから私はただひたすら神の御心のままにいよう。』
Was Gott tut, das ist wohlgetan
(神のみわざはただしく)より

f:id:tachibananasu:20220315212336j:plain

メルカリで買い出したらこんなことに。