モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

カバーテスト

f:id:tachibananasu:20220703032020j:image
f:id:tachibananasu:20220703032023j:image
f:id:tachibananasu:20220703032017j:image
f:id:tachibananasu:20220703032014j:image

 少し前に「モディリアーニ展」に行ったことを書きました。モディリアーニの作品の大半は肖像画で、長い顔と首、そして瞳のない目が特徴的です。…と、読んでくれた友達から「視能訓練士として瞳のない肖像画ってどう思うの?」と聞かれました。え…。うーん。特別違和感はなかったなぁと思いつつ、もう目の前に実物を見ることはできないので買ってきた画集を眺めていました。思うに、瞳は描かれていませんが視線は感じるのですよね、不思議ですが。見ている目なのです。
 ところで私は仕事柄、肖像画や雑誌に載っている人の顔写真を見たとき、時々「カバーテスト」をしたくなってしてしまいます。これは斜視(両目の視線があっていない状態)の有無を調べる検査で、片眼を隠した時の他眼の動きを見るという基本的で大切な検査です。写真や絵の中の人間は目を動かしてはくれないので(笑)、そういう意味では本当には成り立たないのですが、片目を隠した方がもう一方の目の視線がわかりやすいように思ってしてしまいます。結果、モディリアーニ肖像画は斜視ではなさそうです。
 ここで思い出したのはレンブラントの「放蕩息子の帰還」です。私はヘンリ・ナウエンの本の表紙で初めて見たとき「このお父さんは廃用性外斜視だな」と思いました。よく見ると帰ってきた息子(弟)を見ているのは左目で、右目は外を向いています。右目で右側を見ていて左目は見てない説はこの絵の主旨からすると違うでしょう。とにかく両目の視線が合ってないのは確かです。外斜視の人はけっこういますが、両目の視力が同じくらい見えている人の場合、集中して見る時には視線が合う状態になって、斜視の時と斜視でない時の両方混ざっている人も多いです(間歇性外斜視)。このお父さんの視力は測ってないのでわかりませんが、私は右眼の視力が悪いためにいつも外斜視になっているように感じました。片目の視力がかなり悪くなると、両目で見ようとする機能が働かなくなって外に逸れていくことがあるのです。この時代なら白内障緑内障、角膜疾患、網膜疾患…などでかなり見えない状態の人はたくさんいたと思います。このお父さんの右目はそうだったのではないか。見えている左目もどのくらい見えているかわかりません。老いたお父さんの弱々しい様子をよく表しているように思えたのでした。