モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

レンブラント「放蕩息子の帰還」①

 前回、レンブラントの「放蕩息子の帰還」のお父さんが廃用性外斜視ではないかという話をしました。
 クリスチャンでない方も読んで下さっていると思いますので簡単に説明します。
 この絵は新約聖書にあるイエス様の『たとえ話』のひとつ、その中でも有名な「放蕩息子」を描いたものです。イエス様は地上にいた時、たくさんの「たとえ話」をしました。神様の愛、天国、神様への信仰、…などについてたとえを用いて話したのです。
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「放蕩息子」ストーリー。
 ある人に2人の息子がいたのですが、弟は遺産の生前分与を申し出て、父は応じて与えます。弟は家を出て自由奔放に遊びまくり当然のことながら全財産無くして転落人生へ。助けてくれる人はいません。ここでやっと弟は回心して父のもとへ帰ることに。「私は息子と呼ばれる資格はない。使用人として雇ってもらおう。」ところが父は、この弟が帰ってきたのをめちゃ喜んで、弟のために最上の服や指輪を準備し、更に最上の子牛を屠って宴会を開くことに。使用人どころか立派な息子扱いです。これに怒ったのがお兄ちゃん。自分は真面目にずっとお父さんに仕えてきたのにこんな宴会開いてもらったことないと。
 ここで父は何と言ったか。「子よ(兄のことです)、お前はいつも私と一緒にいる。私のものは全部お前のものだ。だが、お前の弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのが見つかったのだ。祝宴を開いて喜ぶのは当り前ではないか。」と。
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 レンブラントの絵は、ボロボロになって帰ってきた弟を父が抱いて迎え入れる場面です。実は聖書には「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」とあります。
 え、遠く離れていたのを見つけたの?…。これって視力2.0の世界じゃよ笑。ちなみに、日本のよくある視力表は2.0までありますが、一般的にはそこまで測らない眼科が多いと思います。臨床上は1.0出れば良しとする考えがあります。でもって、視力は0.1刻みで表されていますが、その間隔は同じではないのです。0.1と0.2の輪っか(ランドルト環)の大きさはかなり違いますが、1.2と1.5の差は小さいのです。「1.5が1.2に下がった!」と大騒ぎする患者さんが時々いますが、「1.2も1.5もほぼ同じですから」と私は静かに答えます。
 とにかく、聖書の「放蕩息子のたとえ話」のお父さんはとても視力が良く、走って行く元気があったように描かれているのにレンブラントはそう描かなかったということです。

続く。
レンブラント「放蕩息子の帰還」② - モゴローなんちゃって日記 (hatenablog.com)
前回はこちら。
カバーテスト - モゴローなんちゃって日記 (hatenablog.com)