モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

『偽りなく』ケーテ・コルヴィッツ

 本物、実物を見てみたいなぁと思う。ちょうど今、ニューヨーク近代美術館で回顧展が開かれているそうです。行ける方はぜひ笑。
 『〈労働者階級〉や〈革命〉といった観念によって発想したのではなく、自分自身の真情から発想し、目の前の名前をもった一人の女や子供の身体の「かたち」からその芸術を創造したのである。彼女をステレオタイプ社会主義リアリズム・ポスター描きたちから分け、芸術に生きた形態を与え、…人類の悲惨に不朽の形態を与えた普遍的な芸術家の一人たらしめたのは、彼女が形態によってのみ伝えられることを表現したからであり、ことばを形態に翻訳したからではなかった。芸術の生命は形態(イメージ)である。彼女の芸術家としての立場は、凝視するものとしてのそれであった。彼女は解釈したのでもなく、行動の綱領を出したのでもない。』
 容姿が良くないからという理由でお父さんが画家への道をすごく後押したそうです。「才能は神から託された義務」と言った祖父。ケーテは祖父(牧師)、父(左官→牧師)、夫(医師)をはじめ家族に愛されていたと思う。色のない素描、銅版画、木版画、彫刻の数々。以前、ケーテの「マリアとエリサベト」について書きましたが、同じテーマで描かれた昔の絵画は(多分)全て男性が描いたもので、貧困で子供を失った多くの女性を見てきたケーテが、そして、戦争で息子を失ったケーテが、マリアとエリサベトをそのお腹の子が悲惨な死を迎える二人として描いたとしか思えないのは当然であり、「偽りなく描く」こと、描く対象にも描く自分にも偽りないことを徹底していたのだと感じました。自画像も多い。私には画家の気持ちはわからないのですが、これほどまでに自分を凝視して描くのは、自分を知る作業にも偽りなく向き合っていたからなのだと思う。
 自ら志願して戦地へ行った息子を止めることができなかった、止めることをしなかったケーテ。孫も戦争で失い、晩年には夫を、そして家も焼失して多くを喪失したケーテ。死へと向き合うケーテ。死の前年には「私はそこに立ち、自分の墓を掘る」を制作。第一次大戦、第二次大戦の中に生きたケーテ。第二次世界大戦終結直前に死を迎えます。自分の人生をどう思った最後だったのか。美術史家の若桑みどりさんの著書(1993)。フェミニズムアートシリーズとのこと、それとは意識せず古本屋で見つけて読んでみました。
ケーテ・コルヴィッツ「マリアとエリサベト」④ - モゴローなんちゃって日記 (hatenablog.com)