画集の1927年作「マリアとエリサベト」は左側がマリアだということになった。他の画家もそうだが、どうしてマリアのお腹の方が大きいのだろうか。それにしても、そこには、二人が手を取合い、肩を抱き合い、お腹を触り合っている姿が多く描かれていて、実際もそうだったに違いないと私は思う。
私は最初、大きいお腹をしている左側がエリサベトだと思い込んでいた。お腹の大きさに加えて、顔の表情、いや全体が疲れて見えたからだ。そのエリサベトを凜とした姿勢のマリアが、若いマリアの方が慰めているように見えたのだった。
結果的に私の見立ては間違っていたようで、マリアの大きなお腹にそっと手を当てて、目を伏せるマリアを見つめているのがエリサベトだったのだが、どちらにしても、聖書にあるような、お腹の子が喜び踊り、声高らかに話すエリサベトには見えない。このデッサンは、マリアがエリサベトを訪ねた時を描いているのだだろうか、それとも滞在の終わり頃なのだろうか。エリサベトのもとでマリアは力が抜けるほどにほっとしているように見える。この画集のデッサンを見たあとで知ったあと2枚の作品。構図的に、あとの2枚はデッサンと版画のセットなのかもしれない。画集のものよりマリヤは幼く可愛く見える。そのマリアの肩を抱き寄せるエリサベト。
ケーテがどの順番で作ったかはわからないが、私は画集にある「マリアとエリサベト」が一番好きだ。二人の共に過ごした三ヶ月の姿を最も表しているように思うからだ。神様を信じていても、あり得ない妊娠には不安が繰り返されたと思う。周囲の理解は本当にあるのか。毎日それを呟き合い、聞き合って、抱き合って、祈り合って、支え合ったのではないだろうか。時にはマリアがエリサベトを慰める日もあったかもしれない。二人は入れ替わるほどに親しかったと思う。
二人はこの時、お腹の子の行く末を知らない。が、ケーテは知っている。エリサベトはいったいいつまで生きたのだろう。エリサベトが地上を去ったのは、息子ヨハネの最後を知る前だったのか後だったのか。皆に祝福されたヨハネの誕生、しかし、少年?になったヨハネは荒野で一人生活を開始した。母エリサベトはどれだけ心配だったろう。そして、最後は領主に首を切られて処刑されるのだ。マリアも然り、息子イエスは少年の頃より親の考える範疇には収らず、最後は十字架刑に処される。マリアがエリサベトと違うのは、息子であり救い主であるイエスが十字架の死から甦ったことを地上の生涯の中で知っていたことだ。復活された主イエスが天に昇られた後、約束の聖霊が降るのを待つ使徒たちの記事の中に母マリアの名前が記されている。
祝福された幸いなる女、マリアとエリサベトをテーマに選んだケーテ。1927年はケーテ60歳の年だ。ケーテの業績を讃えるパーティーが開かれた年だそうだ。
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ケーテ・コルヴィッツ「マリアとエリサベト」④ - モゴローなんちゃって日記 (hatenablog.com)
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ケーテ・コルヴィッツ「マリアとエリサベト」① - モゴローなんちゃって日記 (hatenablog.com)
ケーテ・コルヴィッツ「マリアとエリサベト」② - モゴローなんちゃって日記 (hatenablog.com)