モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

ケーテ・コルヴィッツ「マリアとエリサベト」④

「マリアは、三か月ほどエリサベトと暮らして、家に帰った。」

新約聖書ルカによる福音書1:56)

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 私の大好きな聖書の言葉。ケーテ・コルヴィッツの他の作品を見るためにヤフオクにて300円で買った古い画集。最後の数ページの中に出てきた「マリアとエリサベト」、ここにこの言葉があると思った。マリアとエリサベトのこの三か月は、羨ましくなるほどに二人の人生の中で最も美しかったのではないかと思うのだ。

インターネット上にあった同作品

 最初に、お腹の大きい左側をエリサベトと間違って見立ててしまった私は、お腹の子の行く末を知らない二人ではあるけれど、右側の、十字架から甦ることになる息子の母マリアが、なんとも言えない思慮深い眼差しで、処刑の死を迎える息子を産むことになるエリサベトを励ましているように感じたのだったが、それは逆であり、主イエスに先だって道を備えることになる洗礼者ヨハネの母は、先だってあり得ない妊娠をした者として、マリアを励ましたのだろうか。

 1927年、ケーテ60歳の時の作品である。私がケーテ・コルヴィッツについて初めて知ったのは、吉田実先生(改革派但馬みくに教会牧師)の著書「絵画と御言葉」からだった。ケーテの二男ペーターは志願兵として戦地に赴き死を迎えるのだが、その後押しをしてしまったケーテは、悲しみと罪責感の中、彫刻作品の中でペーターの姿を残そうと考えた。しかし、最終的には「祖国を愛して命を捧げたペーターの『犠牲の死』の意味を否定した」(「絵画と御言葉」より)。最初はペーターの姿があるはずであったが、最終的には彼の姿のない「父」と「母」という彫刻を制作する。その完成は1930年頃で(設置は?1932年)、ペーターの死から15年以上経っていた。「マリアとエリサベト」はそのようなケーテの生活の中でデッサンされたと言える。

 「マリアとエリサベト」をデッサンした1927年にはケーテ60歳を祝う催しが盛大に開かれたそうだ(画集解説より)。ケーテの作品は評価され、版画家・彫刻家として名を馳せていた訳だが、その作品にある、貧しさのため死に瀕する人々、貧困や戦争で子を失った母たち、社会に虐げられる人々の姿を見た時、与えられた命を懸命に生きる人間の尊厳と美しさを誰も奪ってはならない、というケーテの静かで深い、強い、揺るぎない思いが伝わってくる。

 ケーテが他にも聖書を題材にした作品を残しているかを私は知らないが、この「マリアとエリサベト」をテーマに選んで描いたケーテは、自ら子を産み、そして、自ら子を失った母だった。幼く貧しいマリア、不妊の女として苦しみ抜いたエリサベトが、不安の中で出産を迎えようとしている。二人のお腹の子が処刑されることをケーテは知っている。母にとって子を産むことは最大の喜びであり、母にとって子を失うことは最大の悲しみである。 そうであるから、そうであっても、母は子を産む。マリアとエリサベトは、喜びも悲嘆も、期待も疲労も、飢えも満足も、過去も未来も、まだ知らないものも全てお互い預け合い、支え合い、守り合った三か月を過したのではないだろうか。ケーテは、この二人の三か月間に美しさを見たのではないか、と思うのだった。

これで終わりです。

お付き合いありがとうございました。
※前回まではこちら
ケーテ・コルヴィッツ「マリアとエリサベト」① - モゴローなんちゃって日記 (hatenablog.com)
ケーテ・コルヴィッツ「マリアとエリサベト」② - モゴローなんちゃって日記 (hatenablog.com)
ケーテ・コルヴィッツ「マリアとエリサベト」③ - モゴローなんちゃって日記 (hatenablog.com)