モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

「乾く」ヨハネ受難曲

 2/3(土)神戸松陰女子学院大学チャペルでのバッハ・コレギウム・ジャパンのコンサートに行ってきた。「ヨハネ受難曲(第2稿)」。チケット予約した時は(1時間ほどで完売)生活上の変化が激しい時期で、コンサートの日に私はどうなっているのだろうか、行けるのだろうか、いや絶対行きたい行くのだ、と思いながらだった。
 予習のためにヨハネ福音書18章からを行きの電車の中で読む笑。新約聖書だけのがあったはずと本棚から引っ張り出してきたのは、20年前にカトリック神戸中央教会の「ゴスペル・イン・文楽」でもらったものだ。文楽もまた観たい。
 ヨハネ受難曲」は第4稿まであって、第2稿は二部構成で牧師の説教の前と後に分けて演奏されたそうだ。ひゃーなんて贅沢なんだろう。エヴァンゲリストテノール)が歌で聖書をナレーションしてくれるのがすごい。ずっと歌っている。そして、イエス様役のバス歌手の風貌がイエス様ってこんな感じだったのかもと思わせ、声も素晴らしかった。
 ペテロが否定して鶏が鳴いたあとに激しく泣く場面はヨハネ福音書にはなく他の福音書記事が混ざっている。この男ではなく「バラバを!」というところや、「殺せ!十字架につけろ!」というところや、イエス様の衣服をくじ引きで誰がもらうか決めるところが合唱で歌われる。元気よく歌われる。私もこの中の一人なのだ。こんなに勢いづいているつもりはないのに、みんなと一緒になるとこうも声高々になるのかと思うと恐ろしい。イエスさまが母マリヤを弟子に託すところは心痛むとともにイエス様の優しさが胸を打つ。母マリアはどんな気持ちだったろう。息子が目の前で十字架刑に処されるのだ。そんな母を、自分が去った後の母へも責任を全うするイエス様。
 イエスさまが「乾く」と言われるのがヨハネ福音書の特徴なのだと思う。最後、必死に、ぎりぎりの思いで走り終えたイエス様。私たちも何か大きなことを成し遂げた後は水を飲みたくなるのではないだろうか。ああ、これで自分の成すべきことは終わった。全部出し切った。体も喉も乾いている。最後に一杯の水で潤したい。ふと、成し遂げられたと言えるのは復活した後ではないかという思いがして、それゆえに十字架の死をもって「成し遂げられた」と言われたイエス様の、肉体を持った人間としてこの世に来て下さったイエス様の言葉が迫ってきた。
 鈴木雅明さんが左手だけで指揮されていた。右腕のケガが完治されることを願います。そして、全く話は逸れますが、もののけ姫米良美一さんが昔BCJで歌っていたことを最近YouTubeで知りびっくり。とてもきれいな声。