モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

Bachの誕生日

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 3月21日はJ.S.Bachの誕生日だそうです。ということで、一昨日バッハ・コレギウム・ジャパン演奏会「Bachの誕生日を祝って」に行ってきました。会場は神戸松蔭女子大学チャペルです。教会の友達Fさんと二人で行く予定だったのがFさんの体調不良で一人に。ここ最近Fさんと一緒に行くことが多く、そこでの喋りも楽しみだったので寂しかったです。私自身とても忙しい日程の中で疲れていて、このコンサートのチケットを取ったのが間違いだったのか…なんて、そんなことも頭をかすめました。

 第一部はチェンバロのための協奏曲。本当は4台でのコンチェルトを計画していたそうですが、コロナ事情などで3台しか揃わなかったとのこと。私は生のチェンバロを聞くのは初めてで、なんだか夢の世界にいるようでした。
 バッハのチェンバロ協奏曲の多くは他の作曲家の作品やバッハが他の楽器のために書いた曲を編曲したもので、バッハが子どもたちと共演するために作ったと考えられるそうです。ライプツィヒ時代に「コレギウム・ムジクム」という楽団の指導者となり、お金を払えば一般の人誰でもが入れる演奏会で(当時は珍しかったそう)週1回、子どもや弟子達と一緒に演奏していたバッハ。今回のコンサートも、鈴木雅明さんと優人さんは親子ですね。

 第二部はカンタータ30番「喜べ、贖われた者たちの群れよ」でした。洗礼者ヨハネの祝日のために(そんなのがあるのですね)準備された曲だそうです。バッハ晩年の教会カンタータで、既に作っていた世俗カンタータの構成と歌詞を変えたものとのこと。
 私は「イエスさまとパウロ以外で聖書に出てくる人で誰が好き?」という質問には1番に「洗礼者ヨハネ」と答えます。出身教会での初めての教会学校のお話当番で話したのが洗礼者ヨハネだったのです。イエスさまに洗礼を授けるところ。ヨハネの毛衣を革のような素材で、水をビーズで、そんな絵?も作って、えらく気合いを入れていましたね~。良い思い出。その後になって、牢に入れられたヨハネが「来たるべき方はあなたでしょうか。それとも他の方を待たなければなりませんか。」とイエスさまに尋ねるところがたまらなく好きになりました。
 そして、洗礼者ヨハネは一人っ子の代表…?なところ。私は一人っ子ですが、一人っ子と言えば、わがまま・甘えたと良いところ無しみたいにいつも言われて、きょうだいのことを聞かれるのが本当に嫌でした。藤掛明先生(私が敬愛しているクリスチャン心理療法士)が、ヨハネのことを一人っ子という視点で話されているのを聞いた時には、いいぞ!と飛びついたというわけです。

最初と最後の合唱が特に良かったです。
Freue dich, geheilgte Schar,
Freue dich in Sions Auen!
Deiner Freude Herrlichkeit,
Deiner Selbstzufriedenheit
Wird die Zeit kein Ende schauen.
喜べ、聖なる者とされた群れよ、
喜べ、シオンの牧場で!
汝の輝くばかりの喜び、
汝の満ち足りた幸福が
終わることはなし。
(最後の合唱の歌詞:プログラムより)

 最後に鈴木雅明さんが、このような時にこのような演奏会を開いていいのか、音楽ができること、音楽家ができることはあるのか、みたいなことを挨拶で話されました。言葉は忘れてしまったのですが(メモ紛失)、バッハを演奏することでバッハを通して、バッハの信仰を通して、神様のことを…。上手く言えない。メモが出てきたら書くかも。
 アンコールはカンタータ147。あの有名な旋律。147で2回出てくるそうですが、アンコールでは1回目の歌詞で演奏されました。(って、私は聞いただけでは歌詞は全くわかりませんが)

エスがいる私は幸せ
おお、何と固く私はイエスをだきしめることだろう
エスは私の心を癒してくださる
病のときも 悲しいときも
私にはイエスがいる イエスは私を愛し
私のためにご自身をも差し出してくださるのだ
ああ、だからイエスを放しません
たとえこの心が張り裂けようとも
(ネット上にあった日本語訳です)

 演奏会に行くことのできた恵みを真っ直ぐに受け取りたいと思いました。Fさんとも翌日教会で会えてよかった!