モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

クリスマスの朝にお墓掃除

 父の足腰がいよいよ弱ってきたため、昨年から一緒にお墓掃除に行くようになった。今日はたまたま、父と私の都合が合った日というわけだ。小さい墓地でお墓とお墓の間隔は狭く、砂利道でもあり、掃除の最中に少しぶつかっただけで父が隣のお墓になだれ込んでしまう。ひぇー、墓掃除に行って墓に入ることになった…シャレにならない。
 父は一代目クリスチャンで長男。祖父母の家は神棚もあったけれど、一応仏教徒。父の弟妹もノンクリスチャンだ。祖父母は老後を叔父(父の弟)の家庭で過ごして人生を終えた。仏壇が残り、叔父が退職後に田舎へ引っ越すとき父が引き取ることに。その後、叔父と叔母(父の妹)の理解を得て仏壇は無事処分できた。
 さて、お墓はどうするか。叔父も叔母もそれぞれに入るお墓はある。私は教会のお墓に入るつもりだ。両親もそうするのがいいと私は思った。娘の将来を考えてのことでもある。昨年、しっかりさんの従姉妹と会う機会があり、「うちの親は承諾してるから墓じまいしてもいいよ」と言う。両親にも話してその方向になる予定だ。となると…祖父母、そして、幼い頃に亡くなった父のきょうだい、会ったことのない曾祖父母、とその親?そのきょうだい?くらいの人たちの遺骨はどうすればいいのか。いくつか選択肢があるのだろうが今はそこで止まっている。
 夕方、母がショートステイから戻ってきた。「クリスマスおめでとう」「今日は25日だね、昨日は教会だったんだね」。おお、頭の回転が良いようだ。「お母さんの世代はね、教会行ったら、クリスマスの雰囲気に飲み込まれてたわ」笑。雰囲気も大事だと思うよ。「昨日のご馳走が残っているから、それでお祝いしようね」。教会での写真や動画を見せよう。
 若い人であっても、いつ人生の終わりを迎えるかはわからない。両親の年になれば、本当にいつその時が来てもおかしくない。思ったより近いのか、意外にまだ遠いのか。十字架に向かうためにお生まれになったイエスさま。今日、この日に来てくださってありがとうございます。
 クリスマスおめでとうございます。