モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

よく頑張って

 母と話すことが増える日々、初めて聞く話が多く、初めて知る母の人生でもある。
 母は小学2年から中学校までの8年間を親兄妹と離れて祖母と二人で暮らしていました。祖母(私の曾祖母)はヒサさんといいます。私が幼い頃に母から聞いたヒサさんとの暮らしは楽しいものばかりでしたが、随分あとになってから、実は憂いも多い生活だったと知るようになりました。
 昨夜聞いた話です。ヒサ家は大きくお風呂もあったのですが、母が暮らし始めた頃に故障して修理しないままだったそうです。そのためお風呂屋さんに行く生活。ところが、ヒサさんは高血圧で医者から入浴を止められていて、お風呂に入るのは年に2.3回だったとか。母は小学生の頃から一人でお風呂屋さんに通うことに。そんなある夜、帰り道を歩いていると後ろから下駄の音がする。母を追ってついてくるのです。そして、それは若い男性だったそうですが、母は押し倒されて…え…。ちょうど知り合いのおばさんの家に灯りがついているのが見えて、母が「おばさーん、おばさーん」と大きな声で叫ぶと、男性は母の頬を引っ叩いて逃げて行ったそうです。
 中学生の頃にも校門で男性が待っていて「家まで送りたい」と言われた。逃げたかったけれど、走ったどころで逃げ切れない。そのまま家まで歩いて帰った。そんなことが2-3回あったそうです。
 お風呂屋さんの時でしょうね、母が家に着いて泣きじゃくっていると、ヒサ家に下宿していたおばさんが話を聞いてくれたそうです。大きな家だったので下宿人が何人かいたのですが、そのおばさんは片足を失っていて、家の手伝いをするという条件で下宿代を払わず住んでいました。「何事かあった時に、大声を出す人と出さない人がいるけど、Mちゃんは出せたんだね」と言ったそうです。こういう時に大声を出した方がいいのか出さない方がいいのか、究極の選択になる場合があると思いますが、この時は出して良かったのだと思います。
 ヒサおばあちゃんには話したの?知ってはいたようですが、このあと、お風呂屋に一緒に行ったり、家のお風呂を修理したりしてくれることはなかったようです。母曰く、数日後にはまた一人で風呂屋に行ったが怖いとは思わなかったと。ヒサおばあちゃんは明治生まれのクリスチャンです。昔に聞いた話のひとつに、母が小学生時代、音楽クラブに入っていた話があります。小学校にはグランドピアノがあり、音楽の先生が個人的にピアノを教えてくれたそうです。今なら考えられないことですね。ピアノ教室なんて通えない時代、習う生徒が何人もいて、練習も順番待ち。母は長く練習するためにいつも一番最後まで待っていたそうです。冬だと終わる頃には真っ暗。すると、ヒサおばあちゃんが小学校まで迎えに来てくれていたそうです。これまではこの話しか聞いていませんでした。ヒサおばあちゃんも母を大切にしてくれていたと思います。そういう話をいっぱい聞いてきました。でも、ヒサおばあちゃんにもできることとできないことがあり、時代もあったでしょう。子どもが一人で、夜でも遠いところまで歩いて行く。それが当たり前だったのかもしれません。夏休みと正月には両親に会っていた母ですが、この話をしたことはないと言っていました。
 今の日本でも皆が知らないだけでこういうことはたくさんあるのだと思います。昔はもっとあったでしょう。「お母さん、よく生きてきたね、よく頑張って生きてきたよね」と、私は心から思って、肩を抱いて言いました。そして、話してくれてありがとう。