モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

わかった振りしない、

 今日、母を病院へ連れて行った。2ヶ月ほど入院した回復期リハビリ病院に退院後も通っている。入院の原因となったケガとは別の症状が退院直前に表われ、その病院に専門医がいるということで、入院時の主治医からその専門医に替わって診てもらうようになっているのだ
 元々の目的であるリハビリについては一応終了しているわけであり、突如として表われた症状、しかもなかなか厄介な症状について、急性期病院で診てもらった方がいいのではないかと当初は随分心が揺れた。しかし、大きな急性期病院に通院するとなるとそれも大変だ。とにかくその医師がどんな人なのか、そこに賭けてみることにしたのだつた。
 その医師は、年齢(見た目)からして、第一線を退いた後にリハ病院に勤務しているように思われた。私の心配をよそに話をじっくり聞いてくれる医師だった。
 入院中に開始した薬の副作用が疑われたため、まずはその薬を徐々に減らしながら中止して様子を見ることになった。残念ながら症状に変化はなかった。そして、前回から症状に対して薬を試すことになった。ただし、その薬にも副作用があり、少しずつしか増やせないと言う。そして、今日。ネットで調べると、前回処方された薬は母の症状には第一選択になるのがわかったが、ただ、昨年に新薬が承認されていることもわかった。どうなのだろう。聞いてみるだけ聞いてみよう。
 聞くと、その医師はその薬のことは知らなかったと言う。そして、私のスマホで新薬の機序を読み、副作用の心配も少ないようなので、次回処方できるか調べて来ると言った。私は医師の言葉にとても誠意を感じた。はっきりと「私はこの薬のことを知りませんでした」と言ったのだ。帰宅して調べると、この医師は以前は有名大学病院で科長をしており、そこを引退しての現在のようだった。第一線にいたら新薬のことは当然知っていただろう、いや、第一線にいなくても知っている医師はもちろんいると思う。もしかすると、細分化したなら母はこの医師の専門から逸れるのかもしれない。
 誰しも人間は自分より下の立場の人から(医師と患者は本来対等です)、自分の知らない新しいこと、自分の知らない良い方法を聞かされること、言ってみれば「自分はわかっていない、自分はできていない」ことを指摘されるのを嫌がる。私だってそうだ。不機嫌になる、または知ってる振りをして誤魔化そうとする。立場が上になるほど「私はわかっていない」と言うのは難しくなる。わかった振りをしない、こと。そうありたい。
 診察の最後に母は「治りますか」と問うた。難治性であると前回聞いていたが、認知面が低下している母は覚えていない。そんな母に医師は数秒沈黙して、「そう願って目指しているところです」と言った。私はこの沈黙がうれしかった。母のことはこの医師を信頼していこうと思う。