モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

ジェーンとシャルロット

 「歌」の方で好きになったジェーン・バーキン。シャルロットは「なまいきシャルロット」しか見たことないし。なのだが、やはり観たかった。 
 全く行き来してなかった親子が何十年ぶりに劇的に対話してわかり合ったとか、そういう話ではない。多分だけど、この二人はこれまでもちゃんと向き合ってきたのではないかと思う。 
 ジェーンは16歳から睡眠薬を飲んでいたそうです。寄宿舎で夜、「誰か起きてない?」と言ったら全員の寝息しか聞こえなかったという話、私も修学旅行などではいつも私以外の友達の寝息を聞くことになった。本人も言うように、自由に生きてきたと言えるし、でも、それゆえの憂いも背負っていたのだろう。
 ジェーンは物を捨てられない。すべて思い出があるからと。家が大きいので捨てなくてもいいというのもあるけれど(笑)。最近、母介護に備えて実家の物をかなり処分しました。ひとつひとつ見始めると、もちろんひとつひとつにストーリーがあって、それを捨てるのはちょこっと痛みを感じないでもないけど、でも、持ち続けていても思い出すことのないストーリーでもある。全てを詳細に覚えていることはない。そのストーリーはどこへ行くのだろう。
 面白かったのは「第二子」について話しているところ。ジェーンもシャルロットも三人子どもがいて、シャルロットは第二子、中間子でもある。映画にはシャルロットの第三子も出てくる。ジェーンやシャルロットの雰囲気ではないけれど美しい少女でした。第二子も女の子で、母娘三代に流れるものを感じる。介護生活の始まった私はそこで感じたことを娘に聞いてもらうことがあり、うちは私も娘も一人っ子だけど、三代…という意味を思うことがある。 
 シャルロットの後にセルジュとの子どもを望まなかったのかという問いに対して、最初の結婚で生まれた長女と公平にしたかったと答えていた。
 セルジュ・ゲンズブールの家…ジェーンとシャルロットも過した家が出てくる。セルジュの死後、そのまま?にしていたよう。缶詰が爆発したと言っていた。ブリジット・バルドーの大きいポスターがあった。歌はジェーンとの方が断然いい。
 これまで分かり合えていたこと、分かり合えていなかったことを静かに確認しつつ、お互いの生き方をあらためて受け入れ合っているような、そんな風に思えた。基本的に人生を楽観視しているというジェーンが、長女(シャルロットの姉)の自死について、もっとこうしたらよかったのではないかと悔いる場面が心に残る。シャルロットも姉の死が辛くてニューヨークに転居している。華やかでおしゃれで才能ある母娘とその家族にあるそれぞれの人生。

 自由に生きたらいいよ。悲しみも苦しみもあるけれど。わかっているから。わかっていても何もできない。わかっているから何もしない。それでも、母だから。それでも娘だから。それでいいよ。それで十分。でも、できるだけ幸せでいてほしい。それは、もちろん、いつだって思っていることだから。
 最後の浜辺のシーン。…の最後にジェーンの補聴器をシャルロットが外してあげるところが一番印象的だった。不完全な愛でもそこにあるなら抱きしめた方がいい。
 ジェーン、さようなら。ありがとう。