モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

「牧会ってなんだ?」

※クリスチャンの方向けです。
 実家にあった2008年の本。教会を取り巻く状況には変化があるので、「牧会」ということについても変わるところがあるのか、それとも根本的にはずっと同じなのか、私にはわからないですが。えー!!っていうほどの内容があった訳ではないのですが、ふーん、そうだよね、って思うところがいくつかありました。

・ここではある事柄に関することだったのですが、世の中の方向というか、常識?ルール?みたいなのを、じゃあ教会でもそれが必要でしょう~ってなるかどうか。「それをやったら教会ではなくなります」というくだりがあって、私もそうだなぁと思いました。
・信徒の「カルテ」みたいなのが牧師先生にあるのか私は知りませんが、何らかの形で記録して保管している先生は多いのだろうと思います。昔、ある牧師先生に相談に行って、その時の相談内容とは直接は関係なかったのですが、最後に日頃から抱えている私自身の信仰の問題をちょっとだけ話したのです。すると、1年以上経って、別件で相談事があってその先生と話した時の最後に「モゴローさん、前に話した時にはこう言ってましたが、今はどうですか」と聞いてきたのですよね。びっくりしました。本題とは関係なしに何気なく話したことをこの牧師先生は覚えていたんだぁと。そして、何気ないように思えて、実はそれは深い事柄だったのですよね。その先生は基本的には話を聞いている最中にはメモを取らないのですが、後で記録しているのかもしれません。ああ、この牧師先生はこうして一人一人をちゃんと見て下さっているのだなぁと思って先生への信頼度が増しました。
・大人数の教会の牧師先生の話。教会員の動向を自分だけの記号でメモして表にしているそうです。礼拝出欠、電話で話した、声をかけた、ハガキを出した、など。こうすることで、ある信徒とは頻繁にやり取りしているが、ある信徒とは長い間やり取りがないとわかる。いつも第2第4週にしか礼拝に来ない信徒が、ある月第1に来たら何かのサインではないかと思う。なるほどと思いました。少ない人数の教会であれば、そこまで記録しなくてもわかる面もあると思いますが、ある人のことを気にかけていたつもりが、いつの間にか忘れてしまって、ある時「あれ、あの人どうなってるのだっけ」ということが私にはけっこうあります。あと、「印象」と実際の違い。例えば、自分としては「あの人は3ヶ月礼拝に来てないな」という印象なのに、実際は半年以上経っていたとか。「印象」も大切ですが、それだけを頼りにしていると、そこから外れることは取りこぼされますよね。客観的な記録というのはとても大事だと思いました。
・牧師先生は引退や異動で変わります。ずっと変わらないのは信徒なのです。これは私もめちゃ実感です。牧師先生ばかりに何もかも頼っていては、その先生がいる時はいいけれど、いなくなったら途端に総崩れになってしまう。信徒の相互牧会の力が問われる。
・礼拝説教が「あなたはそのままでいいんだよ」ばかりが強調されて、そこには「悔い改め」が必要だということがあまり語られていないのでは…っていうところがあって、これも日頃感じていることでした。