モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

夢、影、

 私は夢(夜見る夢)をよく見る方かもしれない。中学の時、見た夢があまりに面白く、必死で母に話していたら「人が見た夢の話ほど面白くないものはない」と言われたことがある。これは私の夢が面白くなかったのではなく、私の話し方(夢の説明)が面白くなかったのだと思う。人に話す時には演出が必要だ。
 私が見る夢のパターンは大体6パターンで、「奏楽」「鬼上司」「ご馳走」「トイレ」「逃走」「胸躍る」だ。まさに礼拝が始まろうとしているのに、奏楽のための楽譜をいくらめくっても準備した曲が出てこない夢は3年に1回見る。20代の頃に勤めた厳しい職場での厳しい上司が出てくるのは4年に1回。たらふくご馳走を食べて満足する夢は7年に1回。トイレに行きたいのに、言葉では言い表せない(本当は言い表せるのだが閲覧注意になってしまう)ほど不整備なトイレに行き着く夢は2年に1回ほど見る。学生時代、当時好意を寄せていた男子に電車で会う夢を見たら、本当に次の週くらいに会ってびっくりした。家の方向は違っていたので電車で会うはずはないのだ。こういう系と、ピストルで狙われながらも机の下に隠れただけで免れる逃走系は8年に1回くらいだ。
 これらのパターンに入らない夢もごくたまに見る。忘れられない2つの夢がある。1つはあまりに怖い夢で最近になるまで誰にも言えなかった。大切な人の死に関する夢で、どうしてあんな夢を見てしまったのか、見てしまった自分自身が怖かった。もう1つは中学1年で同じクラスだった下〇場くんという男子が出てくる夢だ。下〇場くんは体育の授業で(跳び箱)転倒して腕を骨折した。利き腕ではなかった記憶だがお弁当を食べにくそうにしていた。それだけだ。特別話したわけでもなく、もちろん恋心なんて微塵もなかった。それが30歳近くになった頃、突如として夢に現われた。夢に出てこなければ一生思い出すことはなかったと思う。怖い夢の方よりこっちの夢の方がどうして見たのかいまだに理解できない。

 あるのは「その物」と光だよ、影に実体はないのだよ。影は「ある」ことも「ない」ことも自分ではどうすることもできない。いや、しかし、絶えず変わって同じ姿でないというところがかえって真実のように思える。私は、天国にも(天国には、と言うべきか)美しい影があると思っていて、それが楽しみだ。

#本とは直接関係なく