モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

昼休みの影

本日、昼休みの過ごし方

空さえあれば

囲われた此処でも真っ直ぐ立つのです舞い降りてくる空さえあれば--------最近 家を空けることが多くてゆっくり会えていなかった狭く囲まれたところではあるけれど空さえあれば降りて きて くれるのだね

何を読んでいるのか

この影の写真を撮って、そして、短歌を考えた時に思い浮かべたのは、田村英典先生(元淀川キリスト教病院チャプレン、現改革派岡山西教会牧師)のお話です。8年くらい前だったか、私の通う教会の礼拝説教に来て下さって、そのまま午後の会の講師もして下さい…

運動会の思い出…の続き

娘の5年生の担任教諭は20代の男性だった。最初の参観日も1学期の個人懇談も印象は良かった。ところが2学期のある日、娘の帰りがいつもより1時間以上遅い。学校に電話を入れようとしたところで帰って来た。聞くと、クラス内でのいじめがわかり、担任が激怒…

運動会の思い出

私の住むマンションの前は小学校。これを私はとても気に入っている。朝礼、休み時間、体育の授業、プール、そして運動会の練習の声が聞こえてくるとうれしくなる。私の娘の頃から運動会は9月の最終土曜日で、それは変わってないようだ。当時、運動会の日は7…

「涙とともに見上げるとき」

聴講している「牧会ケア」(今期のテーマはグリーフケア)で参考図書として勧められた本です。哲学、神学などを専門にする大学教諭である著者は山の事故で長男を亡くしている。長男は25歳だった。--------- 地上での肉体の終わり。それは、どうすることもで…

この手

ここに物干し竿を通すのです洗濯は洗濯機がしてくれるのですが 干すのはこの手で

「見える」ということ その三

光の通り道が守られ、それを心が受けとめ、そして「言い表す」ことで「見える」ことが完成するのではないか。そうは言ったものの、例えば赤ちゃんは言い表せないし、病気や障がいで言い表すことが苦手だったり難しかったりする人もいる。前回話したように、…

「見える」ということ その二

前回、光の通り道が守られ、最後に「見ている」ことを心で受けとめることができて「見える」ことが完成するのではないかと話した。では、その人が「見えているか見えていないか」はどうやってわかるのだろうか。視力検査でわかるじゃないか?そう思う人は多…

「見える」ということ その一

2021年に「『見える』ということ」というタイトルで4回投稿しました。中途半端に終わっていたのが気になっていたのですが、今年になってあるところで書き直す機会がありました。そこでの文章を3回に分けて掲載します。写真はこの夏の「ベランダの日々草」で…