モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

運動会の思い出

 私の住むマンションの前は小学校。これを私はとても気に入っている。朝礼、休み時間、体育の授業、プール、そして運動会の練習の声が聞こえてくるとうれしくなる。私の娘の頃から運動会は9月の最終土曜日で、それは変わってないようだ。当時、運動会の日は7時が開門で、場所取りに6時から並んでいたっけ。場所取りと言っても、よく見える場所ではなく、お弁当の時間にちょうど良い木陰ができるところを目指すわけだ。場所さえ取ったら、一度、いや何度も行ったり戻ったり。プログラムを見ながら、そしてアナウンスの声を聞きながら、子どもの出番の時に行き、戻ってはお弁当の続きを作る…というわけ笑。目の前が小学校で良かった理由のひとつでもある。
 今年は先週が運動会だったが、朝見ても並んでいる人はいない。コロナ以降のお弁当無しが続いているのだろう。始まってみると、そうだとしても観客が少ない。どうやら学年で分けているようだ。入場行進の音楽も聞こえてこない。コロナだけでなく熱中症対策もあるのかもしれない。一日かけての、家族総動員の、そんな運動会のイメージが浮ぶ者としてはちょっと寂しい気もしたが、でも、子どもたちが気負いなく日頃の様子を見せ、親たちも無理のない範囲で楽しんでいる雰囲気が感じられて、これはこれでいいなぁと思ったりする。早めに帰ったなら、ゆっくり休息して家族で語り合う時間があるといいね。
 私の時代から6年生は「組み体操」、これは変わらずにあった。そして、私の頃にはなかったが、娘の時代にはあった5年生の「ソーラン節」はまだ続いている。思い出すのは娘の6年生。組み体操だったわけだが、最後はピラミッド。この小学校でピラミッドが今もあるのかは知らないが、当時はあって当然のごとく、そして、「感動フィナーレ」の強制的予定。しかし、娘の時、最後のピラミッドは失敗した。しーん。組み体操を指揮する教諭は朝礼台で10秒くらい止ったあと、「あともう一度だけやらせて下さい」的なことを言う。頼むようなことなのか。すると、2回目も失敗した。何とも言えない不味い空気が運動場を覆い尽くした。指揮教諭は今度は言葉を発しないままだ。しばらくすると観客の親たちから「もう1回」という声が上がった。そこで校長が登場してきたのだったか忘れたが、とにかくその指揮教諭は3回目に挑戦するのが屈辱的とでもいうように歯を食いしばって「すみません」みたいなことを言った。なんで謝る必要があるのだろう。そして、3回目に成功した。盛大な拍手。よかったよかった、感動もひとしお…。え、そうかな。私はそんなふうに思えなかった。娘も同じような思いを抱えて帰って来た。みんな泣いていたという。どうして泣くのかわからなかった、自分は泣けなかったが、おかしいと思われるのが嫌であくびして無理矢理涙ぐむ真似をしたと言う。そもそも、練習からしてピラミッドの成功率は半々くらいだったそうだ。娘も「1回で成功するのは難しい」と思っていたと。そりゃそうだ。当時、2学期は9月1日から。最初の10日間くらいは水泳があって、運動会の練習はその後から始まる。他の授業だってある。短い練習期間で取り組むのには無理がある業だと思う。本番100%目指すなら練習では120%くらいでないと難しい。それを半々くらいの率で、本番1回で成功させようなんて、根性があればできるとでも言うのか。感じ方は人それぞれだけど、私は「感動」なんてしなかった。むしろ、「嫌な感じ」が残った。私は娘に「みんなが泣いているからと言って泣く必要なんてない」と言った。良い励みになるようなちょっと高い目標を運動会に設定するのはいいと思う。…いや、日頃の様子そのままでもいいと私は思う。その日のその時の、できるところまでを見せて、見て、それを受け止め合って喜んで楽しんだらいいのだと思う。今はそうだといいなぁと願う。
(個人的には組体操は無しがいいと思う)
 実は、この組み体操を指揮していた教諭は娘の5年生の担任だった。
続く…。
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