モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

運動会の思い出…の続き

 娘の5年生の担任教諭は20代の男性だった。最初の参観日も1学期の個人懇談も印象は良かった。ところが2学期のある日、娘の帰りがいつもより1時間以上遅い。学校に電話を入れようとしたところで帰って来た。聞くと、クラス内でのいじめがわかり、担任が激怒したという。そして、途中、机を1台蹴り倒したのだと言う。泣き出す生徒もいたそうだ。話の内容を聞くと、確かにいじめだと思われることがあって、担任はそれについて諭す?つもりだったようだが、泣いた生徒にしても、娘にしても、残った印象は教諭の感情的な言動が主で肝心のことはとても薄くしか残っていない。私は担任宛に手紙を書いた。「感情的な方法は即効性はあるかもしれないが、それでは意味がない。子どもたちにはちゃんと『話すことで伝えてほしい』」みたいな内容だったと思う。すると、翌日に電話がかかってきた。「とても大事なことが書かれている手紙だと思いました」と言う。1学期の良い印象の姿だ。そうかそうか、わかってくれたならいいのだよ。そのあと、5年生が終わるまでは特に何事もなく(私たち親子には)、6年生で担任は外れた。
 6年生になり、いよいよ卒業式。練習はかなり念入りのようだった。すると、この教諭、ある日の卒業式練習で、生徒の態度が悪いと言って、体育館に並べられたパイプ椅子を何台?何十台?も蹴り倒していったそうだ。はっきり言って、そういう人だったのですね。この時の娘は冷静そのもの。あんなことして、パイプ椅子が壊れたらもったいないだけ、物は大切にすべきだと言ってました。片付けるのに時間がかかる、その分練習した方がいい、とも。他の先生は誰も止めなかったそうです。
 卒業前だし、担任でもないし、この時の私は学校側に何も言わなかったけれど、本当は言うべきだったと今では思う。言ってどうなるものではないにしろ。あの先生どうなったのだろう。あの先生のクラスになった生徒は大丈夫だったろうか。先生自身の人格形成に問題があったのだろうと思います。人にはそれぞれ弱さや欠けがあるので、それ自体を責めることはできないけれど、でも、人に関わる仕事をしている場合「自分を知る」必要はある。とは言え、どんな世界にもどんな職業の人にも色んな人はいます。視能訓練士でも、医者でも看護師でも(私の知っている分野を例に並べただけです)、…、本当に色々です。良い人もいればそうでない人もいる。難しい…。うちの場合、この担任に関して言えば、娘と私の間でよく話すことができたことは良かったです。「先生」だから正しいというわけではない。「みんながしている」ことが良いとは限らない。人には話すことで伝えよう。とか。
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