モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

壁に残された伝言

 実家にあった2003年の本。新品未読のままだった。
 NHK広島のディレクターが8/6の特番のために取材したことをまとめている。広島市内の小学校の建替え工事で発見された「伝言」。それは原爆資料館にある「『被爆の伝言』写真」の原物だった。20年前にかなり話題になったようですが、私は全く知らず。そもそも私自身が関心を持っていなかったのです、ずっと、いつも。今回こうして読んでも、ああ、そうだったんだな、とは思うけれど、じゃあどうなんだ、と言われると何も答えられない。それで終わってしまう自分を認めざるを得ない。
 袋町小学校は鉄筋だったため、中身は焼けたものの建物は残って緊急救護所となった。表面が木材だった壁が煤で黒くなり黒板代りとなってチョークで伝言が書かれた。家族を探す人、安否を知らせる人、生徒を託す先生。結局、伝言はその時に役立つことはなかったそうです。そのくらいの惨状と混乱。✕印しされた意味とは。
 興味深かったのは、判読作業の様子。赤外線フィルムで撮って、肉眼では見つけられないチョークを感知するというもの。しかし、科学技術を駆使しても、文字の痕跡は痕跡でしかなく、最後は人間の力で読み取る作業をしている。警察の鑑識の人、書家、歴史家、当時の町の事情に詳しい人など。どこまでがひとつの伝言なのかを見極め、途中で消えている字、抜けている行を推測していく。当時の字の崩し方、書き言葉に多用された言い回し、そして町の情報。それらからきっかけとなるものがわかると、何度見てもかわらなかった文字が浮かび上がるように読めていったとのこと。今ならAIができるのだろうか。文章は一文字一文字がただ並んでいるのではなく、まとまりだから。一文字一文字を追いかけて感じるのではなく、まとまりとその区切りを感じることが大切なのだろう。
 この20年で、問われていることは変わったのだろうか。同じなのか。それさえもわからずに、わからないこともわからずにいる、私です。