モゴローなんちゃって日記

      フォト短歌、影、心に浮ぶ言葉たち。

「二百年の子供」

 ちょうど10年前に読売新聞に連載されていたもの。大江さん唯一のファンタジーだそうです。(実家にあった本)
 大江さんの3人の子どもがモデルと思われる兄妹がタイムマシンで過去と未来に行く物語。10代向けだそうですが、50代の私は電車の中で泣きそうになりました、ハハ…。
 直接関係ない話ですが、アニメの『アルプスの少女』を私はリアルタイムで視聴していまして笑、楽しみに見ていたのは覚えていますが、感動して泣く…とかはなかったです。ところが高校生の時に再放送があって、クラスメイトが「泣けたわ」と言うので私も見たら泣いてしまった。それ以後も数回見たような、必ず泣いてしまう場面があり、最後に見たのは20年近く前だったでしょうか、その時は更にそれまでは泣かなかったところにまで泣けてしまいました。その話を時々娘にしていたのですが、最近娘が「私も昔は泣くことなかったけど、近頃、なんか見たり聞いたりして泣くことが増えてきた。生きてきた年数が長くなると、それだけ人生経験が増えて『共感』できる事柄も増えるからだよ」と言っていて、なるほどそうだなぁと思っていたのです。でも、「共感」って何だろうって思う。子どもは共感力ないのか。
 人生経験増えてくると確かに「ああ、わかるわかる」ってなるけれど、それは「自分の経験」が基準であって、それに照らし合わせて見てしまうってことは本当に共感しているのとは別のことじゃないかと思う。子どもは、自分は経験していない、自分は経験することがないかもしれない、それがどこかでわかっている。わからないという自分をちゃんと生きているのじゃないかな、と。子どもって、そこはすごい力があると思う。
・心からねがうということなら、子供は大人よりすぐれているわ。
・子供には想像力がある、ということじゃないですか?
・「新しい人」は「新しい言葉」から作られる、
・あんたらも苦しいことがある世の中に生きておるのやな、といった。
・いま現にきみの心とからだをしている子供に目を向けて、それこそが自分だと認めることが、自然なのじゃないか?
・どうして、こんなに信じてもらえそうにないことを、知らない人に、勇敢にいえるのだろう?…それが本当のことだからだ、とあかりは胸を熱くして思った。
 この20年の間にも国家、戦争、移民、貧困、自死、伝染病、マイナンバー制度も始まったし(本の中で触れられていたと感じた事柄です)、恵まれて生きている私に言える資格はないけれど、希望は…見えない、かな。子どもに、何て言えばいいのだろう、と思う。
 娘が言葉を話し出した頃を思い出す。たとえ3歳でも、子どもでも、ちゃんと対話できるのだなぁと思った。話が盛り上がるときが必ずあって不思議だった。子どもに教えられることが多かったです。